Medical essay

整形外科病棟M&A2



遠のく日々


 みどりは、デブリ洗浄と呼ばれている消毒の経過もよく、
リハビリでは杖での歩行訓練で病棟内フリーの許可がおりた。
入院生活も4ヶ月を向かえて,
退院に向けての話もちらほらと聞こえるようになってきたが、
いまだに5本の指を地につけて歩いていた感覚が
戻ってこなかった。左足の小指・薬指がないということは、
なかなかバランスがとれず立つことが難しい。
体のどこにも無駄な部分はないのだと改めて知らされている。


                                     


  みどりは作業療法士に、膠原病の後遺症のため、
以前のようには動かすことが出来ない指の治療に当たってもらっている。
右手の中指はちょうど半分の長さになってしまった。
失って気づく不便さはいろいろある、
まず箸や筆記用具などもなかなか旨く持てない。
T字杖を使う際にも中指がないと力が入らない、
訓練のお陰で指の動きもだいぶスムーズになってはきたが、
日常の動作に自信が持てるようになるのは大分先のことだろう。

                                    

  そんな矢先、足の傷口に痛みを感じ主治医に伝えると、
化膿しているようなので直ぐに切開をすることになった。
局部麻酔による治療は何度か経験しているが、
あの麻酔の注射の痛みは耐えがたい。
毎回枕に顔を埋めて痛さをこらえようとするのだが、
思わずうめき声が漏れてしまう。
しばらくの間、処置に痛みが伴うのかと思うと、
気分が重くなってくる。
カレンダーを眺めながら自分なりに退院の予想を立てるのが,
楽しみでもあったが、その日か遠のいてくのを感じ虚脱感が全身を覆った。



  リハビリテーション・・・
  語源はラテン「本来あるべき状態にへの回復」
  戦傷者を対象として発祥した分野であるが、先進
  国ではむしろ脳卒中など神経疾患の後遺症、
  老年痴呆への対策としてリハビリテーションの
  重要性が増してきている。

  作業療法士・・・OT Occupational Therapist  
  医師の指導のもと、身体や精神に障害を持つ人に
  園芸、工芸、レクリェーションなどの作業を行わせることで
  心身の障害の維持・回復に導き精神面、心理面での安定を
  目指す。

  理学療法士・・・PT  Physical Therapist
  一般に考えられている高齢、交通事故、などにより発生
  した身体機能の回復のためのトレーニングのみならず、
  脳卒中での片麻痺,などから、新生児の運動能力の発達の
  遅れ、身体的な障害を持つ人に対して医師の指導のもと、
  その基本的動作能力の回復を図るため、治療体操、温熱
  その他の物理的手段を加える者であり、その活動を理学療
  法という。
  こうした治療を中心としたリハビリティーション病院も
  少しずつではあるが、増えてきている。

  他に言語聴覚士・・・ST  Speech Therapist





病院内の不思議発見


 笑気・・・
  あゆみが病院内の散歩で麻酔科の壁面にある聞きなれない
言葉に気付いた。

                                 


  低濃度の笑気ガスと高濃度の酸素の混合ガスを鼻から
吸入することによって意識レベルを低下させて、患者の不安感、
恐怖感、緊張感を取り除き痛み自体も軽減することができる。

  笑気は亜酸化窒素の別名。
笑気の語源は亜酸化窒素を用いた手術中に麻酔に拠って弛緩した
患者の表情が笑っているように見えたからと言う説が有力。


           


  舌圧子(ぜつあつし)・・・
  みどりの治療の際、薬を付けるのに使う。主治医はアイス棒と呼んでいる。
思い起こせば、風邪を引いたときなど、医師が喉の奥を見るときに
舌を押さえる金属の板だと思い出した。


                             


 1本ずつ滅菌包装された使い捨てのものは、
集団検診や訪問看護の際にも使われている。
素材は北海道の天然木白樺材を使用しているので廃棄も簡単です。


           


  翼状針(よくじょうしん)・・・
  静脈注射や採血、点滴に使うチューブ付きの注射針。
刺すときに指先で持つ部分が翼に似ているためこの名が付いている。
別名・・・トンボ針。1本50円位。

               

  注射針の話・・・数字が小さくなるほど針は太くなる。
採血は22Gが多い。痛みが少ない注射針は先端わずか、
0.2ミリ(33G)世界一極細のインスリン用注射針。


             


  駆血帯(くけつたい)・・・
   採血をするときなどに腕に巻くゴム製の紐。


                


  こんな凄い名前が付いているとは知りませんでした。
最近ではワンタッチ着脱や片手で使用できるものも出てきていいます。


           


  医局・・・
  医師が暗証番号を押して入室するようです。
治療の折・・・・・
ある医師に「医局は一言で言うとどんなところでしょう?」と
尋ねてみたら・・・人材派遣業の巣窟のようなところですよ!」と
笑って答えてくださった。
ますます謎の多い所のような気がしてならない。

  医局の近くにある自販機の【たこ焼き】が
美味しいという噂話を耳にして、退院までに
一度買ってみたい気もします。 

         




外出


 みどりは、看護師の薦めもあり、9月最後の日曜日に
思い切って外出の予定を立ててみた。
無常な雨は止む気配もなく残念な気もしたが、
迎えに来た夫の車に車椅子を積み込み準備完了。


                   

 その間の数分間・・・・
現実の世界に引きずり込まれたようで思わず手を見つめてしまった。
外は寒かった、両手の指はそれを瞬時に感じて、
白に紫色にと変化していた。

  レイノー症状、膠原病患者にとっては辛い季節の幕開けである。
途中なるべく車から降りなくて済むようにと、
コンビニで温かい肉まん、あつあつのおでん
おにぎりを買いドライブへ。
行く先は常陸太田方面から、那珂市を回って帰ることにした。
 

                    

 9月末、稲刈りはほぼ終わり、
ところどころにおだがけしてある稲を見かける、
その足元には彼岸花が群生して咲いている。
以前は忌み嫌われた彼岸花だが、今はアマチュアカメラマンの
秋の定番の被写体になっている。
夫は、時折車を止めて小雨の中いろいろと写していたが、
みどりはその日一度もシャッターを押さなかった。

  帰り道、夫が「退院したら温泉でも行こう?」といってくれた。
素直に「そうね。」と、言えばよかったのだが・・・・
「指が2本ない足を、人前ではしばらくは見せたくないから・・・」と
思わず言葉が出てしまった。




  レイノー症・・・
        フランスの医師M.Raynaud
       (1834〜1881)の名に因む。
       四肢末端の小動脈が発作性攣縮をおこすことに
       より生ずる四肢末端の色調変化である。
 
         典型的レイノーでは、まず蒼白となり、
       攣縮が終了し血行が回復するにつれて暗紫色、
       赤色の色調へと移っていく。
       原因により他の基礎疾患のめられないレイノー病と、
       SLE,PSS,MCTDシェーグレン症候群など膠原病、
       振動工具使用によるもの、
       胸郭出口症候群、金属中毒によるものに分類される。







計画と挑戦


  あゆみはこれからのリハビリの計画を担当医師と相談してみた。
10月前半はまず加重3分の1からスタート、
後半は加重2分の1に、そして月末から歩行器による歩行訓練。
そして退院を11月下旬としてみた。

 あゆみはリハビリで、
「今日は指示が出ていますがどうしますか?」と訪ねられた。
どうしようかと思いながらも、お立ち台と言われるベッドのような
【ティルトテーブル】に横なり30度の初体験をした。
感想は最初怖く感じていたが、まだ立っている感じはなく
思ったよりも足の痛みも感じず好調なスタートを切った。
     

                
                 ティルトテーブル

45〜50度の角度になってくると3分の1を加重する仕組みに
なっている。2ヶ月の間寝たきりだった事がこんなにも足に
負担を掛けるのかと信じられないようだった。
日々、無意識に歩いたりたったり座ったりしていることが
いかに健康的なことなのか知らされた気がする。

 部屋に帰って横になると久しぶりに自分の体重の
3分の1を感じた足がとても疲れていた。
あれほどストレッチをしてこの日のために備えていたのに、
立つということは簡単そうで本当に難しい。
その頃、担当医からの薦めもあり骨の部分に
超音波を当てる治療を開始した。
継続的に使うことによってガラス細工のような骨の
成長を助けてくれるらしい。

ティルトテーブル
30度・・・4分の1 寝ている感じ
50度・・・3分の1 立っていると言うのを実感する。
  設定が終わるまで間多少恐怖感があった。
80度・・・2分の1 直立した感じだが、
  固定されているのでやはり恐怖感を感じる

  10月15日、とうとう平行棒で立つ日がやってきた。
事故以来2ヶ月半ぶりに足を着いて立ってみた。
足がプルプルする、そして、足の裏が自分の体重を感じた。
初日の感想・・・怖い! 手を離すと倒れてしまいそう。

  10月16日、平行棒二日目。
鏡の中の自分の姿を見て、まっすぐに立つことの難しさを感じる。
病室に戻り、車椅子からベッドに移るときにそっと立ってみた。
身の回り風景が低いことに驚いた。
今まで手が届かなかったところが、自分の目線より低いのである。
立てるというのは素晴らしいと感じた瞬間だった。

 10月18日 今日は夫に前髪を切ってもらい新鮮さを感じる。
平行棒から歩行器へ、手すりにつかまったが
手も足も相変わらずプルプル、それでも25メートルほどの
距離を歩行器にしがみつくような姿で歩くことに初挑戦。
記念すべき一歩の感想は、生まれたての子鹿が
よろけながらも立ち上がるあの風景と同じだった。

 10月19日 歩行器2日目、日ごとに少しずつ
進歩しているような気もするが、傍から見たら
操り人形のようにしか見えないかもしれない。
歩くことはあゆみにとってまだ初心者、
少しずつ体の力を抜いていければ歩ける日も目前に
近づいて来る。



 

  ティルトテーブル・・・
    ドイツで生まれた上肢・下肢トレーニング機器、
  寝たきりにならないため、また効果的なリハビリの
  ひとつとして運動を助けます。
  下肢麻痺の方や寝たきりの方の起立とセミ起立ポジションを、
  安全勝つ自尊心を尊重した方法で実現。
  立位での加重のトレーニングなどに用いられます。
  加重の度合いのより30度〜80度で調節をしながら
  訓練をしていきます。

  平行棒・・・・
    2本の棒が平行して並び安定性がよく体重を
   かけても安心な丈夫な構造で、病院・施設等での
   歩行訓練に使用します。
   高さは5センチ程度ごとに調節が可能。





日課


  みどりの消毒は1回目の手術からほぼ毎日続き
4ヶ月目を迎えている。
最初はガーゼと包帯の名前程度しか知らなかった。
時折処置の方法も変わり、看護師に用意してもらうものも
変わってきた。


      


・足浴用のお湯・・・処置の15分前までに用意する。
・ガーゼ 8×2 8×5 コメガーゼ
・プラセッシ
・生理食塩水 100CC
・ルアーチップ+針
・ゼツアツシ
・ハミンググッド
・ハイドロサイト
・フィブラスト+ゲーベンクリーム
・ゾンゲ(包交車)にのせてある。
・包帯 幅広

  揃える物が多いので、日々の担当の看護師の皆さんにも
心苦しく思い、なるべく助言をして忘れ物のないようにしている。
最近では・・・・
『患者さんが一番よく知っているので聞いてみて』とまで
言われるようになってきた。

  この日課が3日に一度になれば通院が許可されそうなのだが・・・
薬疹のための暫く様子を見ていた抗生物質の点滴が再開された。
最近では点滴の際ななかなか針を腕に刺せず、
足の血管に差してもらっている。

              


  抜糸した傷の内側が化膿し膿が出るようになった。
毎日傷口にガーゼを詰め込む治療が開始され、
1日1度の検温が1日3回の検温に変更になる。
恐らく骨髄炎の心配が出てきたのだろう。
治療の折に担当医が苦渋の表情を見せることあった、
順調な経過でないのが伝わってくる。
また近いうちに手術をするような気配も感じとれる。
私も辛いが担当医も辛いことだろう。



巣立ち


  あゆみの手術の傷痕もふさがってきて消毒もなくなった。
ちょっと前まで仰向けにしか寝られなかったのが、
横向きに、うつ伏せにと成長著しい赤ちゃんと
同じように回復してきた。立ち上がり、ついに一歩を踏みだした。


               


 先日からの検査の結果も良好と知らされ、
この部屋から巣立ってゆく日が目前になった。
一緒に生活した1ヵ月半、年齢差を超えて楽しい日々だった。
2人部屋のカーテンの仕切りをせずに広々と使い、
朝夕のテレビも一台で仲良く見たりして、
いつも笑いの絶えない部屋は、
他の人達が羨むほど明るさに溢れていた。
入院中はずっと一緒の部屋でと願っていたが、
なかなか思うようにいかないのが世の常である。


                


  月曜日に部屋の移動が決まった。
目と鼻の先の部屋だがやはり淋しい思いはお互いに隠せない。
重症の交通事故と難病の治療、
お互いに院内感染という思いがけない出会いだった。  
                 
  病棟内の移動は手早い。
離ればなれになる前に言葉を交わす暇もなく、
ロッカーの中の物もベッドの上に載せての引越しである。
看護師たちが、テレビ台もそっくり運んでくれるので、
患者は自分自身が新しい部屋に移動するだけになる。


                

 あゆみの移動先は5人部屋、
偶然にもみどりが入院して1ヵ月半を過ごした場所、
日当たりの良い部屋なのでこれから冬に向かっての
療養には良い環境だろう。
あゆみみどり離れ離れになってしまったが、
どこかに通じ合うものを感じる二人の縁はこの先も続くことだろう。



才能はないが時間がある


  あゆみが移動してしまった部屋は、殺風景で何故か
物悲しくなってしまった。
みどりは寂しさを払拭するようにPCを開き、
公募作品のための入力に励み始めている。
息子が届けてくれたノートパソコンがこんなところで
役に立つとは思いもしなかった。
とりあえずキャッチフレーズは【自信はないが時間がある】。


             


  朝、師長が立ち寄り「寂しくなってしまいましたね!」と
声を掛けてくれた。退院までの間は、
「患者と作家の掛け持ちでがんばります。」と
冗談半分で言うと・・・・
「入院生活も長くなってしまったからそんなことを
書くのもひとつですね。」嬉しいとアドバイスを下さった。
確かに、春先の1ヶ月の入院と合わせると
半年間を病院で過ごしたことになる。
この貴重な体験はやっぱり文字にしておいたほうが
良いのかと再認識させられた。


          


  午前中の治療の際、麻酔の注射をしての
デブリ洗浄が行われた。麻酔の注射はやはり痛かったが、
何度か経験しているせいか今回は少し余裕があった。
担当医が、「結構血が出ましたよ。」と声を掛けてくれた。
血流の弱いみどりにとって、切り口から血がでる
ということはとても素晴らしいことなのである、
今日の治療で退院の日が近づいた予感がする。
最悪の予想は回避できたのかもしれない。



あゆみ・初めての外出


 ひろしは、乗り降りがしやすいようにとジムニーに
乗ってきてくれた。もちろん文太も同乗していた。
行き先は、車椅子でも自由に動けるようにと偕楽園下の
千波公園へ、車椅子で散歩をしたり、
車の中でのんびりしたりと楽しい時間を過ごした。
随所に車椅子用の駐車スペースやトイレがあるのも嬉しい。
秋晴れの下久しぶりに外に出て最高のリフレッシュが出来た。
夕食の後にはみどりや友人たちへのお土産も買った。


                 


 車から風景を見る、太陽の日差しを浴びる、
しばらく振りの外出は想像以上に疲れた。
病室に戻ってみるとぐったり熟睡の一夜だった。
翌朝、みどりのもとへお土産を届けに行くと、
とても温かいと喜んでくれた。あゆみは赤、
みどりは黒お揃いの指なし手袋、近づく冬に役立ちそうだ。




勝手読み


 みどりの趣味の一つに囲碁がある。
対局の機会もなく未だに目標達成とは行かないでいる、
恐らくその辺が私の限界なのだろう。
囲碁は先を読む、
高段者ほど先を読む知恵比べ、
頭脳の格闘技などといわれるのも納得する。


                 


 みどりは入院以来幾度となく退院出来るだろうと
 先を読んできた。
  6月28日、入院・翌日手術、
  7月中旬・・・最初の予想だったが外れた。
  7月下旬・・・参議院選挙の投票には行きたかった。
  8月3日頃・・・花火は自宅の庭から眺めるつもりだった。
  8月中旬・・・・お盆はお墓参りに。
  8月24日・・・再手術。
  9月中旬・・・退院して囲碁の大会の参加するつもりだった。
  9月中旬過ぎ・・お彼岸のお墓参り。
  10月初旬・・・運動会の応援。
 
 どの時期も、みどりがいなければ大変だと思っていたが、
いなければいないように事は進むようである。
家事は80歳をとっくに過ぎた母がそれなりにこなし、
掃除や犬猫の世話は皆で分担してやってくれている
ようで心配ないと言われている。まもなく11月、
誕生日が近づいてきている。
誕生日は我が家で祝いたいと思ってはいるが、
果たしてどうなるものか・・
みどりは相変わらず先が読めないでいる。


                 

 傷口の処置が終わった後、
担当看護師が「この分だと、
お正月はご自宅で迎えられそうですね。」と
声を掛けてくれた。
「ありがとうございます、励みになります。」と
答えてはみたが、さすがプロの目は厳しかった。



夢に見た歩行訓練


  あゆみは、リハビリ室で顔をみかけるおじさんやおばさん達が、
徐々に体力を回復し、いつの間にか歩き始めているのを見ながら
逞しく思っていた。あんなに弱々しかったのに、リハビリの指導者の
熱意と本人の努力で見違えるような姿で歩いている。そして、
病棟で看護師たちと並んで歩行訓練する姿を、
散歩と名づけて微笑ましく見ていた。あゆみは、
いつになったら自分も散歩をすることが出来るようになるのか
夢見ていた。


               


 10月25日、その日は思いがけず早くやって来た。
前日、初めて松葉杖の練習をしたが、思い描いていたよりも
はるかに難しかった。そんな姿をリハ室の指導者がみて、
まず足の力をつけたほうが良いと思ったのだろう。
病棟で歩行器での訓練が許可されたのだ。
早速、看護師に訓練のお願いをして歩行器を持ってきてもらった。
病棟の廊下を1周目、ナースセンターの中にいた担当医に
誇らしげに声を掛けた。
「先生、歩けるようになったんですよ。見て下さい。」
「がんばりなさい。」
そんな会話をして2周してかなり疲れたが満足感も味わった。

  ひろしの両親が、顔を見に訪ねてくれた。
お土産はあゆみの好物のうなぎ、それも蒲焼と白焼き、
一人では食べ切れない。みどりに声を掛けて、
談話室で晩餐会となった。
振り返れば二人で並んで食事をしたことなどなかった。
部屋が別になったからこその楽しみもある。



  
  歩くための補助用品
     杖の種類
     T字杖・・・1本杖
     三点杖・・・足元の支えが3箇所。
     四点杖・・・足元の支えが4箇所。
     松葉杖・・・足の悪い人が脇の下にはさんで用いる
            ふたまたの松葉の形をした杖。                        

     ロフストランド クラッチ・・・松葉杖に類似
     カナディアン クラッチ・・・松葉杖に類似

     歩行器・・・杖よりもしっかりした面で体を支える、
     またバランスをとることをサポートし、自分で歩くことや、
     外出する意欲を支援する用具。





雨の土曜日・晴れ日曜日


  入院患者にもリズムがある。
月曜から金曜はリハビリや、採血・レントゲンなどの検査などで
結構忙しい日々を送っているせいか、土曜・日曜は
患者にとってもやはり休日なのである。
朝ものんびり目覚め、リハビリがない分昼寝をしたりする人が
多いのか病棟内も静かな気がする。


             


  そんな時に、無性に勉強がしたくなったりもする、
あゆみはイタリ語、以前3ヶ月ほど留学経験がある。
機会があったらまた訪ねてみたいと思う、
そのためにはやっぱり語学力が大切、
今なら勉強するのには最適と思うと、
自然と本を広げ集中できるのが不思議なほどだった。

  そのころ、みどりは囲碁の棋譜をPCに数局入力し、
繰り返し石の流れを追っていた。
やはり少しでも上達したい気持ちの表れだろう。 


        


  日曜の朝食はパン、サラダや目玉焼きがついていたりして、
若い患者には楽しみなのではないかと思う。
7時30分あゆみが車椅子で「おはよう。」とやってきた。
長い足の間にタオルに包んでコーヒーを持ってきてくれた。
先週までは一緒に過ごしていたので、
パンの日はコーヒー付きと習慣になっていた。
みどりはその気持ちがとても嬉しかった。そしてその姿が・・・
皇帝ペンギンのオスが・・・・・
一生懸命に卵や雛を抱えている姿に思えて、
いっそう感謝の気持ちが深くなる。
そんな姿を見ながらきっといいお母さんになれだろうなぁ、
などとつい飛躍してしまうのだ。


              


  不思議なもので、雨の日はしっとりとした空気の中で
それなりの静けさに包まれ、晴れた日には外へ
散歩に出かける人の姿や、談話室での面会の
お客様の数も多い気がする。
きっと晴れた日には病院に見舞いに行こうという気に
させるのではないだろうか?



検査と結果


  あゆみは毎週木曜日にレントゲン撮影、
担当医が骨の再生の度合いをチェックしてくれている。
しばらく前はガラス細工と称されていたが、
今では大分レントゲンにも形が映るようになってきている。
補講練習と同時進行で骨のほうも形づいているということなのだろう。


                             

 みどりのほうは、毎週2回の採血で炎症反応などをチェックし、
治療の目安としている。しばらく前まで2・5という高い数値だったが
最近では、1を切るようになってきてほっとしている。
夕方、担当医が病室に立ち寄り、
「数値が下がってきていますよ。」と笑顔で報告してくれた。
前回が0.97、今回が0.90、嬉しい結果が続いている。
そしてついに・・・0.68。


                                

 あゆみに、歩行器フリーの許可が、
そして主治医からもレントゲンの結果も良いし12月中旬の
退院を目標にしてみましょうという話が出た。となると、
いろいろと問題も出てくる。まずは住まい、
アパートはエレベーターなしの4階、室内はメゾネット、
とりあえず退院が近づいたら外泊という形で様子を見ることにした。
まずは早く松葉杖なしで歩くのが目標、
トレーニングに精を出すのが一番ということだろう。




  レントゲン・・・レントゲンの発見者、
       ウィルヘルム・レントゲン(ドイツの物理学者)
       レントゲン(単位)X線やガンマ線の照射量を表す
       旧単位。(記号R)

   最も一般に知られているX線写真では、X線照射装置と
  フィルムの間に体を置き、焼き付けて画像化する。X線は
  感光版を黒く変色させるため、体がX線を通過させた部分
  では、黒く写り、体がXを阻止した場合には、その部分が
  白く写る。通常の診療では、前者の黒く写った部分を
  「明るい」、後者の白い部分を「暗い」と表現するが、これ
  はすなわち、肺炎や腫瘍などでは、X線透過度が低くなって
  フィルムに白く影を落とすところからきた表現である。
  X線の透過度が高い組織としては、皮膚や空気(肺)、筋肉
  などがある。

   逆にX線の透過度が低いものとして骨や、
  組織をより明瞭に描き出すために入れる造影剤がある。
  感光液を塗りつけたフィルム代わりにセンサーを使う、
  フィルムレスのX線写真も大病院をはじめ普及し始めて
  いる。


                                 
            

  CRP・・・C反応性蛋白 (英CRP)
     C反応性蛋白の産生量は炎症の強さに相関するため、
   血清中のC反応性蛋白を定量として炎症反応指標とする
   ことが出来る。すなわち、炎症が強いほど血清crp値は
   高くなる。

    ただし、同様の疾患で同程度の場合でもcrpの
  上昇の程度には大きな個人差があるため、
  crpを標準値や他の患者と比較することは有意義でなく
  一人の患者の経過を観察するために有用な指標といえる。

  


     
         みどりのcrp推移表






 



退院に向けて

  あゆみみどりも、歩行器、杖の院内の歩行がフリーになり、
それぞれ退院に向けて歩行距離を伸ばさなければと、
時間を見つけては歩くことにつとめ、
病棟や1階をまで降りたりと努力を惜しまなかった。
それでもあゆみは、松葉杖の練習では足の動きと松葉杖の
リズムがなかなか掴めないでいた。


                 


そんな中、加害者の女性が訪ねて来てくれた。
相変わらず何を話したら良いのか分らず、
憂鬱な時間が過ぎていった。
彼女は事故の行政処分で免停になってしまったと話していた。
んな話をみどりにすると、「歩けるようになったら、
その旨はがきでも出して、それでお互いの縁を切るのが
一番じゃないの。」とアドバイスをもらった。


                 


  思いがけず、あゆみの主治医から外泊をして様子を
見たらどうかという話があった。
アパートの4階まで上れない時には病院に帰ってきたら
どうでしょうという提案も付け加えられた。
夫ともに具体的な退院後の生活を考えなければならない日が、
近づいていている。夫に軽いノリで
「宿泊の予約を取りたいのですが」などとメールを送信してしまった。
なかなか返事が来ないので電話を掛けてみると、
店のほうが忙しいらしくそっけない返事に、
あゆみは、病院の中の自分と仕事中の夫との間に、
温度差を感じ落ち込んでいくのを感じた。


                   


  松葉杖の練習と同時に洗濯を自分ですることにした。
母に3ヶ月間の感謝の気持ち伝え、
退院後の生活も踏まえて出来ることは自分でしよう。
明日から11月、あゆみは4ヶ月目、みどりは5ヶ月目、
そろそろ二人にとっての入院生活の最終章になりそうな
予感がする。




ちょっと幸せ気分


  みどりの、朝の傷口の消毒では主治医が
「大分良くなっていていますね。」と、笑顔で治療が終わった。
以前は、処置のたびに痛みを感じていたがここ数日傷口を
スポンジのブラシで洗っても痛みを感じなくなってきた。
この分だと、毎日の消毒が隔日、2日おきとなって
いくかもしれない。

  昼近くなって皮膚科の外来から診察の連絡が入った。
皮膚科の主治医は、指と薬疹後の皮膚の経過をみて
「消毒や、薬を終わりにしても良いですよ。」という
嬉しい言葉を下さった。振り返れば、指の消毒も
6月の末の手術以来4ヶ月以上も続けたことになる。
毎日、指1本の消毒のために、
薬やガーゼなど揃えてくれていた看護師の皆さんに感謝です。


            


 昼食後のんびり時間を過ごしていると、
立ち寄ってくださったのは内科の主治医、
傷の経過や、特定疾患の申請の結果、
長いこと留守にしている家のことなども気に掛けてくれていた。
同じ病院の中とはいえ、
3人の先生方と会えるのはとても幸せな気分でした。

 ,※ 後日気が付いたことは、主治医は一人が一番良いらしい。
担当科が違えば処方する薬も、治療方もおのずと違うのが当然なのだろう。  



小春空・・・


  小春日和・・・晩秋から初冬にかけての暖かく穏やかな晴れの日

 小春空 退院近き けはいかな・・・・

  みどりのネット仲間が、こんな句を書き込んでくれました。
先日から初氷だとか、放射冷却とか冬を告げるような
言葉が飛び交うようになっていた。ある看護師の
自宅付近には白鳥が飛来して大きな声が
聞こえるようになったそうです。

             

 出勤時、車尚フロントガラスが凍っていたとか、
現実は日ごと冬に近づいています。

 あゆみみどりも夏秋を病院で過ごし、
冬の寒さの中に退院しそうな気配です。
どうせなら退院は暖かな小春日和が希望です。



問題は階段


  リハビリ室の階段は数段、あゆみはそれだけでも
最初は戸惑ってしまった、4階までの階段の昇り降りが
果たして出来るようになるだろうか。
ストレッチや筋トレの後、平行棒で歩行練習、
その後松葉の練習では通常の階段での昇り降りを取り入れ、
より現実的なものにしてくれた。


                   

主治医は立ち寄るたびにリハビリの経過を聞き
「がんばりなさい。」と声を掛けてくれる。
励ましは嬉しいのだが、思うようにならない
あせりも感じるようになった。
リハビリが終わり部屋に戻ると夕食の時間近くまで
ぐっすり寝てしまうことも多くなった。

            

 通常の生活が出来るようになるまで、入院していたいが無理ならば、
リハビリを続けられる病院に転院も視野に入れて考えなければならない。
夫婦でそんな会話をすることもある。
とりあえずは、数日後に迫った外泊がまず鍵といえるだろう。


               

 あゆみは外泊4日前、昨日のリハビリで院内の階段を
4階まで昇り降りの訓練をしてみた。もうくたくた、
リハビリの後も夜も身の置き所がないほど疲れた。
週末は本当の骨休みになった。両親が訪ねてくれなかったら、
土曜は1日寝て過ごしてしまったかもしれない。



マイ・松葉杖


 どこの家にでもあるものではないけれども、
あゆみの家にはマイ松葉杖がある。


                 


 ロフストランド クラッチ、西洋松葉杖とでも言うのだろうか。
大分前になるが、あゆみがイタリアにホームスティしていた時に、
ヒロシが遊びにやってきた。
災難はどこで待ち構えているか分らないものである。
こともあろうにヒロシはイタリアで骨折してしまった、
その時にイタリアで購入したものがこんな形で
役に立つとは思わなかった。


                   


 先日、ベッドの脇に真っ赤なマイ松葉上を
立て掛けて置いたら、ある医師が
「これは危ないね、
骨折するぞ。足も骨盤も折ったから今度は腕かなぁ。」
入院早々にお世話になった医師なので、
心配して言ってくれたのだろう。
あゆみは気を引き締めて歩行練習をしなければと、
自分に言い聞かせた。



幻肢痛


 傷の痛みが緩和されても、のんびりとベッドの上に
体を伸ばしたときなどに、電気が走るような痛みが
足を走り抜ける。みどりは思わず「 痛い!」という言葉が出てしまう、
そのたびに起き上がり何度足をさすったことか。
以前痛み止めを飲んでみたがいっこうに効かなかった。
神経の痛みらしい。恐らくこれが幻肢痛というものだろう。
私の左足にも5本の指があった証なのかもしれない。


                                   


 リハビリの理学療法士は、なくなった指を動かせますかと
いっていたが、中には失った部分を動かせる人もいるらしい。



 
   幻肢痛・・・ 
        幻肢(げんし)とは、事故や壊疽、怪我や病気が
   原因で手や足を切断された患者が、失われた手足が
   以前そこに存在するかのように感じることで
   幻影肢ともいう。
 
        幻肢を持つ患者はしばしばそれを意図的に
   動かすことができる。逆に動かせない場合、
   その幻の部位に非常に強い痛みを感じる
      ことがある。それを幻肢痛という。

       脳科学者で神経医のラマチャンドランは幻肢や 
  幻肢痛とその原因・治療に関する医学的見地からの
    種々の興味深い報告を行っている。
    またかつて現象学立場からこうした場面での
     
    意識の志向性ついて、フランスの現象学的哲学の
    代表者モーリス・メルロ=ポンティがその著書の
   『知覚の現象学』の中で議論を展開したことがある。
      参考・V・S・ラマチャンドラン,サントラ・ブレイクスリー
      (山下篤子訳)『脳の中の幽霊』、1999、角川書店

       



それぞれの夫達


 あゆみの夫も、長期にわたる妻の入院でやや疲れてきて
いるようで、外食やコンビニ弁当も飽きたらしく、
店の閉店後にお弁当を作り自宅に
帰って食べているらしい。
洗濯にしても大変な思いをしていることだろう。

 階段が上がれるようなら退院の話になっていきそうなのだが、
夫はあまり乗り気ではないような感じである。
4階までの階段の昇り降りの際も、買い物も、台所仕事も、
冷静に考えれば当分の間、妻一人では何も出来ないだろう。
だったら、体が自由に動くまでもう暫くの間は、
病院にいてくれた方が楽なのである。
夫の気持ちも分るが、日ごとに回復の兆しのある患者を
病院はいつまで置いてくれるだろうか。


                     


 みどりの夫は、毎朝病院によるのが日課というか、
仕事の流れのようになってしまった。
毎日他愛もない話で終わっているが、
つい先日は写真コンテストで最優秀賞をもらったと嬉しそうに
語っていた。夫は健康をとりえに囲碁、写真と趣味を楽しみながら、
そろそろ仕事の一区切りを向かえる。
人前に出るのは苦手な方だが、表彰式には参加するのが
礼儀だろうからとその旨返事を出したらしい。


                  

 みどりの入院中にカメラ1台、レンズも増えているような気がする。
一人でいる時間もそれなりに楽しんでいるらしかった。
安心していたら、寒くなってきて着るものを探しているようなのだが、
仕舞い込んだところが分らずイライラし、
母の作るおかずが口に合わずイライラ、
掃除機のパックの交換、蛍光灯の交換、
挙句の果てにはコピー機のリボンも交換しなければならなくなり、
パニック状態になったらしい。
 



お試し外泊


  あゆみの感想は「とっても疲れた。」
 4階までの階段は一人では不安で上がれそうもありません。
背中にリュックなどを背負っていてもバランスが取れなくなりそうです。
やっとの思いで家に入っても、居間で落ち着くには階段を上がる
しかありません。これがまた大変でした。
この階段、下りるのが最難関でした。
元の生活を取り戻すには、筋肉をつけて自力で歩けるように
なるしかありません。

                

 近くの整形外科に転院してリハビリをとも考えましたが、
スタッフや設備に雲泥の差がありその考えは選択外、
今のところベッドに空きがあるようなので、
しばらくこのままお世話になることになりました。
ひとまず、安心と言ったところです。






続く


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